HIROSHIMA 1958 エマニュエル・リヴァの広島展

映画『ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)』の主演女優エマニュエル・リヴァが撮影した1958年の広島の写真の発表を中心に、記憶と忘却のテーマを扱います。

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■コラム
このコーナーは、『HIROSHIMA 1958「エマニュエル・リヴァの広島」展』に関連するコラムを掲載しています。


ヒロシマ…その不可能性としての記憶~
■投稿文
『ヒロシマからヒロシマへ』
by 石丸 良道


■投稿文
『ヒロシマ・ヌヴェール ── 記憶と独白』
 
大井健地
(美術評論家・広島市立大学教授)

マルグリット・デュラス『ヒロシマ私の恋人』清岡卓行訳、ちくま文庫1990、を携えて、
アラン・レネ『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』日仏合作1959を観る。映像の
光による、闇のなかのメモワールと私的なモノローグを記す。

草の根がはう地面、亀裂のある砂地。そこに銀吹雪が降る。輝く白い灰が舞う。
画面は水の飛沫を浴びた粘りのある肌。焼けた黒い皮膚の地に。そこに結晶体のような芝草が這いのびる。
スクリーンは汗を噴き出してからみつく肌。
灰と、雨と、露と、汗と…。

「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」。
私は見る。「たとえば病院」。折り紙で満ちた病室。壁に掛けられ天井に吊るされ紐を巡らして切り紙を飾った被爆者の部屋。「カメラの最高の冷たさにおいて捉えられ」た無表情な像。
 私は行く。「4回、資料館に」。原爆ミュゼ、広島原子館、A-bomb Meuseum、ピース・メモリアル・ミュージアム。
肉のような鉄、水のようなガラス、破裂した石。摂氏一万度、一万個の太陽が現われたみたいに。
石と、髪と、爪と、血と…。
ヒロシマについて再構成された、創造的になろうとした対応の日本映画の、たとえば関川秀雄「ひろしま」の、女教師役の月丘夢路はなんにもできない。何も誰も出来ない──といいたいほど。今も? 全てが?

「泣く以外何か、できる?」何か、できますか、泣く以外に。何ができるでしょうか、泣くことだけです。何があなたにできますか。私は泣けます。
 しかし、いったい全体、私たちは何について泣いたというのか?」明日泣くことがないために。

「二日目に、と『歴史』は伝えているのよ」。
「全て君の作り話」。
でたらめのオハナシ、「かりそめに生き残った人」らの?

爆死者の語る話は事実、聞けない。爆心に飛んだ蚊は事実、消えた。

深い深いところから、みみずと蟻が地表に出てくる。それに何匹かの犬。
矢車菊と、グラジオラスと、朝顔と、昼顔と、そしてヤブカンゾウではなくなぜか朝顔。

頭を下にした、白眼の外洋魚。焼津3・1のまぐろが男性の生殖能力を問う。

「人権はどこに」。フランス映画なのだ。歴史的な人権の意識が貫かれている。
ところが「私は見たわ、ヒロシマのひとびとは、まるで不当な運命に甘んじていたわ」。「失明せる被爆者の店」という看板の小屋、原爆のみやげというグロテスクな小物が商品である。「ATOMIC TOUR」とある観光バス。捨てられたPeaceの箱。河、七つの支流から成るデルタ。「本通五丁目」という住居表示、「アトラキシン」という名の商品。(「ハッピー」という名の?)パチンコ屋。映像にはじめて出演者の顔が出る。岡田英次とエマニュエル・リヴァ。その時ふたりははじけるように笑い声をたてる。ハハハハハ。ややあってリウ゛ァは岡田に 族名ないし国籍を問う。岡田は自信満々と生粋の日本人だという、キッスイの。
 男、年齢ははぼ40歳。「西洋化された顔」の「インターナショナル・タイプの男」をデュラスが選んだ。彼が吸うタバコは今はもうない、いこい。仕事は建築、政治。大革命の研究者。
 女、32歳。女優。映画出演のためにヒロシマにいる。その前はパリ。パリの前は、ロワール河沿い、人口4万のヌヴェールにいた。ヌヴェールでドイツ兵士と愛しあったことによって髪を刈られた。服を着た彼女は怪しげな、赤十字の看護婦になりかわる。
 「〈永遠の戦場の永遠の看護婦……〉」。
きみは・起させる・僕に・愛したいという気持ちを・すごく。
 新広島ホテルの前、タクシーを待つ間、
 男「どこかで、何日か、いっしょにじっとしていたい、とても」。
 女「私も、よ」。
 だが、
 だめ、行かねばならない。家族の待つパリへ戻らねばならない。とりあえずは仕事に、出かけねば。
自動ドアではない自動車だから、人間が自力でドアを開ける。「平和広場へ」。
 ヒロシマの運転手なら現実的にこう答えてよい。ここが平和広場、お客さん、平和公園にいるあなたを乗せる理由がない。

 ふたりはともに配偶者に恵まれたと自称する既婚者。疑わしい道徳の持主が、他人の道徳を疑えば、この愛は不倫であるか。つかの間か永遠か。ありふれた関係か滅多にない男女か。
 キ・エテ?(誰、あなたは?)、それは狂女かといぶかる、広島駅の老女が「この人はどなたで?」と問うのと対応する。
 夜明け四時に決まって咳をするのはこの新広島ホテル(現・国際会議場敷地)の隣室の客人か、または公園内河畔の住人かと曲解したがシナリオでは毎早朝の同一通行人(つとめ人)である。リヴァ宿泊の部屋の窓の下で咳をしていくのである。姿は見えない、だからこそ奇妙にリアルな、ああ、広島の人の咳の音声。
 
 あの時ヒロシマにいなかった幸せ者の話は続く。
 フランスできみにとってヒロシマが、全ての戦争というものの完全な終りを意味するものに…なってほしかったのだが。どんな映画にきみは出る?
 「ヒロシマで平和以外の映画をつくるかしら?」ヤクザ映画はどうかしら。
 ヒロシマは,全く単純に教化的な説得的な、平和についての映画を撮影する権利を有する。
 だが世界の現実においてはこの教化と説得が成功したとみなすことはできない。ヒロシマのひとびとは、当地で撮影された平和についての映画を、慣れるほどには見てない。どころか、平和についての映画製作そのものが年々減っていると思える。
 「ヒロシマなら反戦映画を受け入れる」とは好戦映画に対してと同様、単純に言えない。私見をまじえれば、ここヒロシマでもひとびとは平和についての映画を馬鹿にすることはありえる。
被爆者は、あんなもんじゃあないと言ってきた。
 見るということ、それは習得されるもの。
 「見ることは身につくか」。見ることを身につける。見ることを学び身をつくる。身になることを見ることで習得する。
 舌を出したアインシュタインの像は見なかった。
 ふたりのナレソメも、ナリユキだってほとんど。配偶者も子どもも全く。そもそもこのふたり以外には誰も。一切の関係者がスクリーンに登場しない。ひたすら当該ふたりの今、現在、この時のみ。見ようにも見られない非自然主義。ミダラもない、ベタツキもない。なぜなら、実験的にこの愛を創造したいからだ。平和広場に託されたヒロシマ国際寓話。
 ジョヴァンニ・フスコの映画音楽はときに江戸八百八町の泰平を歌うようなのどかな曲調になったりもする。広島まつり、元禄踊り。幟り、提灯。「うまい酒なら千代の春」。フスコの音楽はお囃子を取り入れる。「ア・ヨーイ・ヨイ・ヨイトサ」。
 急須(小さな土瓶である)に入ったコーヒーをカップに入れてくれるリヴァ。和服のひとつである浴衣(ユカタ)を着た彼女に異人性(“へんな外人”)は感じない。すでにあなたはもうしっくりとヒロシマの人。ふたりでホテルのシャワーを浴びながら男が高らかに宣する。「ハハハハハ、きみは美人だ」。光線の工合でリヴァの眉が戦時の独逸将校の彫りの深い陰影の顔だち、または拡げた鷹の翼を思わせたが、それはまたヌヴェールにおける一兵士の死から引かれた歴史地理の補助線の影でもあったか。
 メーデー行進の隊列。プラカードには日本語のほか仏語さらに独語もあった。(英米語もあったか)。デモ隊のものには「MSA反対」(MSAとはMutual Security Act、1954年締結の日米相互防衛援助協定)とある。ワッショイワッショイの掛け声の渦まく隊もある。子どもの持つプラカードのスローガンは仮名書きだ。「せんそうはしないでください」。平和広場の猫は集団示威行動に慣れていない。平和広場の猫はおだやかに姿を隠す。あるいは敏捷に去る。
 原爆映画被害者役の、見かけだけのケロイドを背中に細工したボロ着の汚れた男が隣にいる。彼は不意に現われた復員兵のようでもある。

男の妻は旅行中で、その場所は雲仙である。なぜならデュラスが知っていた著名観光地がそこUNZENだったからだろう(デュラスは広島の太田川の河口から太平洋が始まると思ったようである)。妻が留守の男の家にリヴァは誘われる。彼の書斎の本棚には多数の重厚な書籍が並んでいたが,私がしかと判読できた一冊は『芭蕉』。

 ドーム西、相生橋際にあったティールーム「どーむ」で今迷える恋人たちのでーとは続く。「まだ16時間ある」。「ひどく長い」。ヒロシマは終らず太平洋は始まらない。その頃はやりのジューク・ボックス。みよし正宗のネオン。
「あの頃は若かったわ!」と女が叫ぶ。
 国家への忠誠と国を超えた個人の愛。戦争を始めるのは国家だが、愛の始まりは個と個。私たちは知っている、愛情は、そして友情ですら、国家を捨てる勇気をくれること。「ふるさとは、忘れることができる」*1。だがモナムールは、とりわけ、はじめての。だがそれすら忘れられる!
 「私の初恋だったのよ!」と狂女は叫ぶ。男は女のほおをぶつ、パン,パーン。店内のみなが注視する、アップ。シュール技法。2回の平手打ちは医療的手段であったと私は判断するが。「どーむ」店内には「あなたを恋してる」という俗曲が、忘却の恐ろしさと無縁に、流れている。
 「ヒロシマでは夜が終らない」と男が言ったあとカフェ「どーむ」はカンバンになって*2勘定の時となる。
 再会もなく忘却して死ぬだろう、ヌヴェール・ヒロシマ。忘却とは忘れることなり、ヒロシマ・ヌヴェール。
 闇のスクリーン、夜のミュージアム。
 「ほら(ヒロシマ、あなたを)忘れたわ」。

 私は以後のシーンは、広島駅の老女の秀逸な場面を除けば基本的に要らないと思う。別れ際のあとぐされ、キヌギヌの往生際の悪さに観客はつきあわされる。
 「とるにたらぬ少女、ありふれた恋の話」、一面燃り、だが反面、これは平和についての、平和をつくるためのまことの愛欲の映画たりたいのだ。
 「やがてあなたはひとつの歌になる」、然り、そうなりたい。
 ふたりの終らぬ夜の彷はアッチコッチ、狭い広島の街路を新劇的に点綴する。
 「FUKUYA」前。「積善館」横。映画館では、「月光仮面」と「絶望の死闘」の二本立て。「CINEMA LITTZ」はこの先。「印度カレー」前。そして広島駅待合いのベンチ。「東京行き、東京行き、一分間停車」のアナウンス。*3
 駅構内の長椅子に陣どる、あのヒロシマのおばあさんこそ、この映画随一の役者。だって彼女はヒロシマを股いで、倣然と生きてきてここに居る。生きることはラブ・アフェア(情事、いろごと)の忘却だというなら、このおばあさんこそ全面に出さねばならない。
 老女「この人はどうされた人ですか」
 男「フランスの女優さんです。平和のことを演じました。ヒロシマに共鳴して気がふれたようになっています。そうであればこそ僕たちは愛し合ったのですが、今は別れです。終息をどう結論づけるかで葛藤しているのです」。
 駅から女は車でひとりナイトクラブ「casablanca」へ。跡を追って男も入る。三級スリラー活劇漫画っぽく。ハイボール注文。中に池をしつらえた広い店。ヒロシマのキザなヨタ公が接近、まといつく。ナンパことば。
 「It is very late to be lonely?」
 ヨタ。英語できるん?

 平和広場を舞台にある男女の、ある出会いの瞬間による、これは哲学的に発展しうる普遍的オペラ。ヌヴェールの不幸を回想することによって壊滅都市の再生を告知する。ヌヴェールの悲しみを引き継ぐことは再生ヒロシマの純度を高める。死と戦争と都市の惨渦、その負の遺産都市に生まれる愛の力、詩的な思索の映像作品化。
 「ヒロシマ。それがあなたの名前」。
 「きみはヌヴェール・アン・フランス」。

*1 清岡卓行の詩「地球儀または一九六一年一月九日」参照 
* 2 ドナルド・リチー「『もののあわれ』−−映画の中のヒロシマ」(ミック・ブロデリック編著『ヒバクシャ・シネマ』柴崎・和波訳、現代書館99年、収録)はこの映画の具体的局面での「障害」シーン4種を挙げる。①店じまいした飲み屋にまだノレンがかかっている。②駅で、真夜中なのに午後のアナウンスが流れた。③岡田英次が興奮状態のリヴァを平手打ちにする不自然。④駅で岡田が老婦人に語るセリフの現実味のなさ。 
 筆者(大井)は①②は気づかなかった。③は本文中に医療的解釈を述べた。④については   
 不自然なあらたまりかたに逆に文学的妙味を感じる。いずれにしても、リチーが指摘するよ
 うな、監督ほかの日本の風習への無知を冷笑する気には全く起こらなかった。
* 3 前掲*2の②参照                   





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